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仙台高等裁判所 平成7年(ネ)99号 判決

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

1  被控訴人は、控訴人甲野一郎に対し、金六六七二万三一二七円及びこれに対する昭和五四年三月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被控訴人は、控訴人甲野太郎及び同甲野花子に対し、各金一六五万円及びこれに対する昭和五四年三月一五日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

三  この判決は第一項の1及び2に限り仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

第一  当事者の求める裁判

一  控訴の趣旨

1 原判決を取り消す。

2 被控訴人は、控訴人甲野一郎(以下「控訴人一郎」という。)に対し、金七一五一万二五四八円及びこれに対する昭和五四年三月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を、同甲野太郎(以下「控訴人太郎」という。)及び同甲野花子(以下「控訴人花子」という。)に対し各金二二〇万円及びこれに対する昭和五四年三月一日から各支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

3 訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

4 仮執行宣言

二  控訴の趣旨に対する答弁

1 控訴人らの請求をいずれも棄却する。

2 控訴費用は控訴人らの負担とする。

第二  事案の概要

一  本件は、控訴人一郎は、青森県立中央病院(以下「県立病院」という。)に入院して、水頭症の治療を受けていたが、同病院が適切な処置をしなかったことにより左眼がほぼ失明状態に、右眼が平成八年二月には視力が〇・〇二以下にまで低下し、弱視の後遺障害を負うに至ったと主張して、同控訴人及びその両親である控訴人太郎及び同花子が右病院を設置する被控訴人に対し、主位的に不法行為(民法七一五条の使用者責任)に基づき、予備的に診療契約上の債務不履行に基づき損害賠償を求める事案であり、控訴人らの主張する損害の内訳は、次のとおりである。

1 控訴人一郎

(一) 後遺障害による逸失利益 四六六〇万八八一五円

(二) 慰謝料 一八五〇万円

(三) 弁護士費用 六五〇万円

合計七一六〇万八八一五円のうち七一五一万二五四八円を請求

2 控訴人太郎及び同花子

(一) 慰謝料 各二〇〇万円

(二) 弁護士費用 各二〇万円

二  争いのない事実

1 控訴人一郎は昭和五一年一一月二六日生まれの男子であり、控訴人太郎は控訴人一郎の父、同花子は控訴人一郎の母である。

被控訴人は、県立病院を設置している。

2 控訴人一郎は、先天性の水頭症のため、出生直後の昭和五一年一二月二三日、入院中の国立弘前病院(以下「国立病院」という。)において、右脳室と腹腔を短絡管で連結(シャント)する手術を受けた。控訴人一郎は、昭和五四年一月末から、下痢症状が現われるなど元気がなくなったため、脳室腹腔短絡管の機能不全(いわゆるシャントトラブル。脳室と腹腔を連絡する短絡管(チューブ)の閉塞、捻転、はずれ等の原因でシャントが機能しなくなること、以下単に「シャントトラブル」という場合がある。)が疑われ、そのころ国立病院に入院したが、同年二月八日同病院を退院し、同日県立病院に入院した。

控訴人一郎は、県立病院において、同月一九日、頭蓋内圧を低下させるための持続脳室ドレナージを設置する手術を、同月二七日、腫瘤の摘出手術、同年三月三日、シャント手術を受け、同月二〇日退院した。

3 控訴人一郎は、その後、幼稚園、小学校へと進んだが、眼が不自由であったことから小学校卒業後の平成元年四月に青森県立盲学校に入学した。

三  争点

本件の主な争点は、控訴人一郎が視力障害を起こした原因及びその点に関する県立病院の担当医師の過失の存否並びに消滅時効の成否である。

1 控訴人らの主張

(一) 控訴人一郎の視力障害は、県立病院の次の過失または債務不履行によって脳圧亢進を抑える措置について、その時期と順序を誤り、脳圧亢進による視神経萎縮をきたしたために生じたものである。すなわち、控訴人一郎は、昭和五四年二月八日、シャントトラブルの疑いで、県立病院に入院したが、その際、控訴人一郎には、頭蓋縫合離開と瞳孔不同、対光反射障害のほか、頭皮下液貯留、指圧痕、落陽現象、意識水準の低下、頭囲拡大等の脳圧亢進の可能性を示す重大な諸徴候が存在したのであるから、県立病院脳神経外科の担当医師中岡勤医師(以下「中岡医師」という。)は、速やかに控訴人一郎に対し、頭蓋内圧の亢進状態を診断して、短絡管再建術ないし脳室ドレナージ術などの減圧処置を行い、頭蓋内圧の正常化を維持すべきであったのに、脳圧の正常な回復が図られた同月二四日まで、これを放置し、その結果、控訴人一郎に脳圧亢進を原因とする不可逆的な視力障害を発生させた。

(二) 被控訴人主張の消滅時効について

(1) 不法行為に基づく損害賠償請求権について

控訴人らは、昭和五四年三月二〇日、県立病院を退院するに際し、中岡医師から、左眼の視力回復は見られないかもしれないが、右眼の視力回復の可能性はあるかもしれない、と告げられ、その後この言葉に望みを託して、様々な治療法を試み、その一方で青森市内の伊藤眼科において、平成二年一一月、伊藤医師から、これ以上検査してもどうしようもない、と告げられるまで、半年に一度、視力の状態の検査を受け続けた。その間、控訴人一郎の視力は徐々に低下し続け、平成八年二月には、〇・〇二以下となったものであって、そのころまでは右眼の視力の低下が続いていたことが明らかであり、控訴人一郎の症状固定はこれ以前ではありえず、控訴人一郎の損害を確定することは不可能であった。控訴人らが本訴において求めるのは、後遺障害に基づく損害の賠償であり、消滅時効は症状固定の時から進行を開始する。

(2) 債務不履行に基づく損害賠償請求権について

症状の進行にともないより重い行政上の決定がなされた場合には、その最終決定時をもって損害発生の時となすべきであり、控訴人一郎については、最終の身体障害者等級認定(一級)の平成八年二月二〇日、そうでなくとも、最初の身体障害者等級認定(五級)の昭和五九年八月とすべきである。

(3) 被控訴人の消滅時効の援用は権利の濫用にあたる。

2 被控訴人の主張

(一) 県立病院の措置について

県立病院は、控訴人一郎が入院した当時、頭蓋内圧亢進はそれ程重篤なものとは認められず、眼底所見も正常であり、他方、水頭症の原因として脳腫瘍の存在が疑われたので、連日頭囲を測定するなど、控訴人一郎の頭蓋内圧亢進症状に留意しながら検査を進めていた。そして、入院一一日目の昭和五四年二月一九日には、急激な頭蓋内圧亢進を疑わせる症状、所見が認められたので、頭蓋内圧を低下させるために持続脳室ドレナージを設置し、以後、これを脳室腹腔短絡術を行った同年三月三日まで継続し、頭蓋内圧亢進に対する処置を行った。このように、県立病院は、控訴人一郎の頭蓋内圧亢進について、必要、適切な経過観察を行うとともに治療を行っている。

(二) 控訴人一郎の視力障害について

控訴人一郎は、県立病院に入院する前にも頭囲が急激に拡大し、そのための処置を受けたことがあるから、県立病院入院中に視神経萎縮が起きたのか不明であるし、視神経を圧迫して視神経萎縮の原因となる第三脳室の拡大が県立病院入院中にあったとは考えられない。したがって、県立病院に入院中に頭蓋内圧亢進が原因で控訴人一郎に視力障害が起ったものとはいえない。

(三) 昭和五四年当時、水頭症に対するシャントトラブルが発生した場合、それによる脳圧亢進により視力障害が生じるおそれがあるので、シャントトラブルを発見したならば、その視力障害を回避するために、速やかにシャントトラブル及び脳圧亢進に対する処置をしなければならない、という医学的知見は、一般臨床の場には認められていなかったから、担当医師には、控訴人一郎の視力障害に関する予見義務はなく、過失は存在しない。

(四) 消滅時効の援用

(1) 不法行為に基づく損害賠償請求権について

控訴人らは、遅くとも控訴人一郎が県立病院を退院した昭和五四年三月二〇日には、後遺障害を含む損害について、損害を知ったものであり、控訴人らの不法行為に基づく損害賠償請求権は、昭和五七年三月二〇日の経過をもって完成した。

仮に控訴人らが昭和五四年三月二〇日の時点で損害を知ったといえないとしても、控訴人らは、障害者手帳の交付を受けた昭和五九年八月二九日には損害を知ったというべきであり、昭和六二年八月二九日の経過をもって消滅時効が完成した。

さらに、控訴人一郎は、昭和五五年三月三一日から伊藤眼科に三年間通い、視神経萎縮ということでとりたてた治療はなかったというのであるから、遅くとも、この時点で症状固定しており、昭和五八年三月三一日の経過あるいは昭和六一年三月三一日の経過をもって消滅時効が完成した。

(2) 債務不履行に基づく損害賠償請求権について

債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効は、権利を行使することを得るときから進行するところ、控訴人らは県立病院における昭和五四年三月三日の手術が遅すぎたと主張しており、控訴人らの右主張によると本来の債務の履行期はそれ以前であったということになるから、控訴人らの主張する債務不履行に基づく損害賠償請求権は遅くとも平成元年三月二日の経過をもって完成した。

第三  当裁判所の判断

一  当事者間に争いのない事実、《証拠略》によると、次の事実を認めることができる。

1 控訴人一郎は、昭和五一年一一月二六日、青森県上北郡野辺地町所在の産婦人科医院で出生したが、頭頂部の頭皮に突起物が見られたことから、公立野辺地病院に転院し、その後同年一二月六日に国立病院に入院した。

控訴人一郎は、国立病院において、脳髄膜嚢瘤及び水頭症の診断を受け、同月一三日に脳髄膜嚢瘤の切除術を受けた。その後、控訴人一郎の水頭症が進行し、大泉門の拡大、頭囲の拡大、嘔吐、落陽現象(両側眼球が下方に向き、虹彩下部が下眼瞼に隠される現象)などが現われ、さらに同月二〇日には脳室の拡大も著しくなったため、同病院では脳内の髄液をチューブによって腹腔に導き、頭蓋内圧を下げる短絡(シャント)手術(以下「VPS」という。)を実施することとし、同月二三日脳外科においてVPSを実施した。その後、控訴人一郎は、シャントが有効に機能し、術後の経過にも問題がなかったので、昭和五二年一月二一日に国立病院を退院した。なお、退院時の控訴人一郎の頭囲は四二・七ないし四三・〇センチメートルであり、眼脂がやや多く結膜炎に罹患していたほかは、視力障害を窺わせるような所見はなかった。

その後、控訴人一郎は、同年二月二日、シャントトラブルが発生したため、再度国立病院に入院したところ、頭囲が五五センチメートルまで拡大しており、腹腔カテーテルがつまっていることから、同月四日に腹腔カテーテル交換手術を受け、同月一二日、頭囲が四四・五センチメートルに戻ったところで退院した。控訴人一郎は、退院後も、昭和五三年一二月まで国立病院に定期的に通院したが、特に異常な点はなく(昭和五三年六月二〇日ころに実施された控訴人一郎の頭部CT検査によれば、側脳室の顕著な拡大が認められたが、第三脳室、第四脳室の拡大は認められなかった。)、県立病院に入院するまでの控訴人一郎の視力障害を窺わせるような事情は存在しなかった。

2 控訴人一郎は、昭和五四年一月三〇日ころから元気がなくなり、同人に下痢、食欲不振、嘔吐、悪心などの症状が現れたので、控訴人花子は同年二月四日、控訴人一郎を公立野辺地病院へ連れて行き、その後、控訴人一郎は国立病院に入院した。国立病院では、控訴人一郎の右側頭部に腫脹、前額部静脈拡張がみられ、控訴人一郎にシャン卜トラブルが発生している疑いがあるものと判断したが、特に脳圧亢進を示す所見がなく、重篤な症状もなかったので、二月八日に控訴人一郎を退院させた。その後、控訴人花子は、控訴人一郎にシャントトラブルが疑われるということであったので、控訴人太郎と相談のうえ、控訴人らの自宅に近く、通院等に便利な県立病院で受診することとし、同月八日、昭和五三年五月一九日に国立病院の担当医今村義典医師からもらっていた紹介書を持参して、県立病院脳神経外科を受診した。

3 控訴人一郎は、右同日、シャントトラブルの疑いで県立病院に入院し、県立病院脳神経外科の中岡医師が主治医となった。なお、当時県立病院脳神経外科部長であった田中輝彦医師(以下「田中医師」という。)は、脳神経外科部長という立場から、控訴人一郎の治療方針を決定するとともに、回診、検査・手術の指示、検査結果の検討を行うなど、控訴人一郎の治療に関与した。

控訴人一郎については、入院当時、意識は僅かに嗜眠状態であり、右側頭部に腫瘤が、頭蓋骨X線写真上頭蓋骨の指圧痕が認められ、頭囲が四八・五センチメートル(被控訴人一郎の年齢からすると、この頭囲は正常範囲である。)、対光反応(眼に光をあて、瞳孔の縮小の反応をみる検査)異常なし、瞳孔不同なし(瞳孔の大きさが左右で違いがないこと)、うっ血乳頭なし、顕著な頭蓋骨縫合離開(冠状縫合離開の最大径七ミリメートル、矢状縫合六ミリメートル、人字縫合三ミリメートル)、落陽現象が認められた。田中医師は、シャントチューブの閉塞を疑い、内水頭症の存在を認めたが、控訴人一郎の臨床症状等から、頭蓋内圧亢進はそれほど重篤ではなく、緊急性はないものと判断し、水頭症の原因を探索をしたうえで、どのような治療を行うか決定しようと考え、控訴人一郎の経過を慎重に観察することとした。

中岡医師は、同月一〇日、控訴人一郎にシャントトラブルによる脳圧亢進の疑いがあったことから、県立病院眼科に診察を依頼したが、同眼科の工藤高道医師(以下「工藤医師」という。)は、控訴人一郎の視神経乳頭の色調は正常、乳頭辺縁も鮮明で特に異常な所見は認められず、脳圧亢進を疑わせる所見は認められないと診断した。

二月九日から同月一三日までの間、控訴人一郎の頭囲は四八・五センチメートルで変化はなかったが、対光反応の異常や瞳孔不同が現われることがあった。

同月一四日、控訴人一郎の頭囲が四九・二センチメートルに拡大し、対光反応もやや緩慢となった。同日、頭部CT写真から控訴人一郎の右側頭部に脳腫瘍の存在が疑われ、このため、県立病院脳神経外科では、その後脳腫瘍の診断等のために同月一五日、一六日にシンチグラフィー、同月一九日の後記の持続的脳室ドレナージ(滅菌したチューブの一方の端を脳室内に入れ、他方の端を体外に出して脳室内の髄液を体外に流し出すもので、頭蓋内圧を下げ、一定の頭蓋内圧を保つ効果を有する。以下 「VDD」という。)設置手術直前に脳血管撮影(写像により顕著な頭蓋骨縫合離開が認められる。)、同月二〇日から二二日までのコンレイ脳室造影、同月二三日に気脳撮影などの各種検査を実施した。

控訴人一郎は、同月一五日には、頭囲四九・五センチメートル、同月一五日から一七日までの間は、対光反応異常なく、瞳孔不同も認められなかったが、同月一七日以降は少し元気がなくなるというような状態であった。控訴人一郎は、同月一七日、頭囲四九・五センチメートル、対光反応緩慢となり、瞳孔不同も出現したため、同月一九日未明から、控訴人一郎にマニトール(脳圧を下げる作用を有する薬剤)を投与していたが、同日、ポンプと腹腔管の連結部のチューブが外れていることも判明した。以上のような状況から、県立病院脳神経外科では、右のシャントトラブルにより控訴人一郎の脳圧が急激に亢進してきたものと判断し、脳圧を下げるために、同日午後六時ころから、控訴人一郎に持続的脳室ドレナージ(VDD)設置手術を実施した。そして、VPSにより装着されていた腹腔チューブは同日抜去された。控訴人一郎の手術時の脳室圧は二〇〇mmH2Oであり、VDD設置後は、脳室圧を一五〇mmH2Oに持続するようにした(なお、乳幼児期の正常髄液圧は三〇ないし一〇〇mmH2Oであり、控訴人一郎の頭蓋内圧は病的に高かったというべきである。)。県立病院脳神経外科では、VDDを設置したことから、その後控訴人一郎の頭囲を測定することはしていない。

二月二四日になって、控訴人一郎は瞳孔不同、左対光反応緩慢となり、脳圧亢進が再現した(なお、控訴人一郎には、二月一八日、一九日、二三日と間欠的に、瞳孔不同や対光反応の緩慢の症状が出ていた。)ため、同日午前一〇時ころから、同月一九日に設置されたVDD再建手術を行うとともに、既に不要となっていたチェンバー(チューブに接合してチューブ内の小組織片を洗い流す弁のついた装置)及び脳室内のチューブを抜去した。

前記の各種検査の結果、控訴人一郎に第三脳室内腫瘍による内水頭症が疑われたので、県立病院脳神経外科は、脳室内の腫瘍の確認、摘出を主たる目的として、執刀医田中医師、助手中岡医師、同辺竜秀医師の三名により同月二七日午後一時四五分ころから開頭手術を実施した。その結果、脳室内は巨大な腔をなし、単脳室とでも形容すべき状態で、第三脳室底部と右側脳室前角部に腫瘍のようなものが存在し、その一部を摘出した(摘出したものを検査した結果、真正の腫瘍ではなく、肉芽性の組織であることが判明した。)。なお、田中医師は、手術所見から、水頭症は炎症性の肉芽組織が第三脳室の前方を塞いだために生じたものと判断した。

県立病院脳神経外科は、三月三日午前一一時三〇分ころからVPSを施行し、VDDチューブを抜去した。

4 控訴人一郎は、三月三日のVPS施行後、歩行可能な状態になったが、歩行中に柱にぶつかるようなことがあり、これを見た控訴人花子は、控訴人一郎の視力に異常があるのではないかと疑い(県立病院入院以前は、控訴人一郎に日常動作に支障をきたす程の視力障害はなかった。)、そのことを中岡医師に告げた。中岡医師は、同月一四日、控訴人一郎に県立病院眼科を受診させたが、その結果、瞳孔不同はなく、右眼は、直接対光反応(光をあてられた眼の瞳孔の反応)が正常、間接対光反応(光をあてられなかった眼の瞳孔の反応)が異常、左眼は、直接対光反応がやや異常、間接対光反応が正常ということであり、また、眼底検査の結果、視神経乳頭は左右とも蒼白な状態で境界もやや不鮮明であり、以上の結果から、眼科の工藤医師は、中岡医師に対し、両眼視神経の萎縮が疑われること、対光反応の結果から失明とはいえないが、左眼の対光反応が欠如している旨報告した。

控訴人一郎は同月二〇日県立病院を退院した。

5 控訴人一郎は、県立病院退院後、右のとおり視力障害の疑いがあったため、伊藤眼科クリニックで受診した。その後、控訴人一郎は、野辺地町立若葉小学校に入学したが、小学一年生時(昭和五八年四月一四日)の視力検査の結果は、右が〇・一、左が三〇センチメートル指数であり、小学六年生時(昭和六三年六月三〇日)の視力検査では、検査不能となっている(なお、小学五年生時(昭和六二年六月三〇日)の視力検査では、裸眼視力が右〇・一、左〇・〇一、矯正視力が右〇・三、左〇・〇四となっている。)。控訴人一郎は、昭和五九年八月二九日、青森県から視力障害を理由として、身体障害者手帳の交付を受けたが(身体障害者四級)、右手帳には、控訴人一郎の視力について、右眼〇・〇九(矯正不能)、左眼二〇センチメートル指数 (〇・〇一、矯正不能)と記載されている。その後、控訴人一郎は、中学校に進学するに際し、平成元年四月に、青森県立盲学校に入学したが、控訴人一郎の右盲学校での平成六年五月九日の視力検査では、右眼〇・〇九、左眼眼前手動であり、平成七年一月二〇日の県立病院眼科での視力検査では、右眼〇・〇六、左眼眼前手動であり、平成七年三月、青森県から視力障害及び視野障害により身体障害者三級の身体障害者手帳の再交付を受け、さらに、平成八年二月、青森県から視力障害(右眼二〇センチメートル指数弁、左眼前手動弁)及び視野障害(両眼による視野二分の一以上欠損)により身体障害者一級の身体障害者手帳の再交付を受けた。

6 なお、控訴人一郎は、生後間もなく、国立病院で、嚢腫(脳髄膜瘤)の摘除を受けているが、平成九年二月一八日同控訴人に対して施行されたMRI(磁気共鳴再像法)によると、控訴人一郎に両側後頭部の欠損は認められず、後頭葉損傷による視機能障害(視野欠損)は存在しない。

二  次に《証拠略》によると、水頭症に関する医学的知見は、次のとおりであると認められる。

1 水頭症とは、種々の原因により脳室ないしその他の頭蓋内腔(主としてくも膜下腔)に髄液が異常に貯留し、そのためこれらの腔が拡大した状態(症候群)であり、通常は頭蓋内圧亢進を伴うものである。髄液が異常に貯留し、脳室系が拡大する場合を内水頭症と呼び、水頭症のほとんどがこれに属する。

髄液が異常に貯留するのは、<1>髄液の過剰分泌、<2>髄液の通過障害、<3>髄液の吸収障害のいずれかの状態が存在し、乳児水頭症の主な原因としては、<1>脳の先天性形成異常、<2>炎症(外傷を含む。)、<3>腫瘍、<4>くも膜嚢胞などが考えられる。

水頭症は、脳室系に閉塞あるいは狭窄があり、髄液の通過障害が起こって生じる非交通性水頭症と、脳室くも膜下腔の間の交通は保たれているが、髄液が吸収地点に行く通路が障害されているか、吸収部に病変などあって吸収能力が低下していることによって生じる交通性水頭症がある。

2 水頭症に共通してみられるのは、頭蓋内圧亢進状態であり、乳幼児においては、頭蓋骨の縫合がきわめて緩いため、異常は頭囲拡大という形で現れ、頭蓋内圧亢進は縫合部の開大と頭囲の増大によりある程度まで代償されるために神経症候は生じにくい。頭囲の増大が緩慢な時は水頭症の診断は必ずしも容易ではないが、疑わしい例では短期間に頭囲を繰り返し測定して正常値と比較することが重要である。ほかに、大泉門の拡大・緊張、頭皮静脈の怒張、落陽現象などの徴候が見られる。脳圧亢進を示す症状としては、元気がなくなること、嘔吐、発熱、痙攣、啼泣などが存在する。また、乳幼児に対する眼底検査は困難を伴うものの、眼底所見では、普通視神経乳頭は正常であるが(乳幼児の乳頭は、成人に比し正常でも白みがかっている。)、第三脳室前半部の拡大により、直接視神経が圧迫され、視神経萎縮像が見られることがある。

水頭症が中程度までであれば、運動機能、知能、視力はそれほど侵されないが(視神経萎縮像がみられても、視力は案外に良く保たれているのが普通である。)、高度になれば、頭蓋内圧亢進により諸機能は侵され、視神経萎縮、白痴、運動障害などが起こる。水頭症を治療せずに放置すると、頭囲は増大し、脳室は拡張し、脳は萎縮し脳の機能障害に基づく全身障害で死亡することが多い。

3 水頭症の治療

水頭症の治療は、交通性のものか非交通性のものかを確認後、対症療法が行われるのが通常であり、最も一般的な方法は、短絡術(シャント術)であり、水頭症がどのような種類のものであっても行われる。今日では、脳室と左下腹部をチューブで繋いで頭蓋内の髄液を腹腔内に導くVPSがより広く行われている。なお、シャント術と同様に髄液を頭蓋内から排除する方法として、脳室ドレナージを設置する方法も行われている。

腫瘍による非交通性の水頭症の場合には、その閉塞部位と腫瘍の性質により、腫瘍摘出術のみでよい場合、シャント手術後に腫瘍を摘出するか、放射線治療などを行うか異なってくる。

シャント術施行後、種々の原因(チューブの閉塞、捻転、屈曲、チューブが外れるなど)によって、短絡管が十分に機能しなくなることがあり、短絡管の機能状態に絶えず注意を払い、必要に応じて適切な治療が加えられなければならない。なお、短絡管に機能不全が生じた場合、乳幼児では、急に元気がなくなリ、嘔吐をきたすなどの症状が現れる。

4 水頭症による視力障害

視神経が萎縮すると視力が障害され、ついには失明するが、水頭症により頭蓋内圧が亢進し、持続した場合、視神経乳頭が浮腫状に腫脹し、うっ血乳頭となり、うつ血乳頭が進行すると最終的に視神経萎縮(続発性萎縮)をきたす。うっ血乳頭が出現しても比較的早期で減圧治療が奏功すれば、乳頭は正常に回復し、視力障害も残さない。進行性水頭症の場合、早期に脳室腹腔短絡術が奏功すれば、うっ血乳頭も視神経萎縮も生じないが、治療が遅れたり、短絡管機能不全が一定期間以上継続すると、最終的には視神経萎縮となり、視神経機能障害が増悪して失明する。通常、短絡管機能不全の場合、頭蓋内圧亢進が増悪するとうっ血乳頭が出現し、その後視神経萎縮に陥る(続発性視神経萎縮型)が、小児水頭症ことに乳幼児期水頭症における短絡管不全の場合、必ずしもうっ血乳頭期を経ないで乳頭萎縮に至る(原発性視神経萎縮型)ことがあるが、いずれにしても、短絡管機能不全により、頭蓋内圧亢進が原因ないし要因の一つとなって、最終的には視神経萎縮に至る病態経過をたどる。

ちなみに、頭蓋内圧が亢進し始めてから、視神経萎縮を眼底所見で診断できるまでに要する時間についてであるが、視神経損傷の時期、程度、種類、場所などの多くの要因によるため、一律に論じることはできないものの、急性期うっ血乳頭の発現から、五、六週間以内で視神経萎縮が診断された例があり、原発性萎縮では、圧亢進から二ないし七日で失明すると言われている。

なお、水頭症においてシャントトラブルが発生した場合、それによる脳圧亢進により視力障害が生じるおそれがあるので、視力障害を回避するために、速やかにシャントトラブル及び脳圧亢進に対する処置をしなければならない、という医学的知見は、昭和五四年当時既に基本的な脳外科分野の水準において認められていた(したがって、昭和五四年当時、水頭症に対するシャントトラブルが発生した場合、それによる脳圧亢進により視力障害が生じるおそれがあるので、シャントトラブルを発見したならば、その視力障害を回避するために、速やかにシャントトラブル及び脳圧亢進に対する処置をしなければならない、という医学的知見は、一般臨床の場には認められていなかったとの被控訴人の主張は採用することができない。)。

三  以上の認定事実を前提に、まず、控訴人一郎が視力障害を受けるに至った原因について検討する。

1 前記一に認定した事実によると、控訴人一郎が県立病院に入院した直後の昭和五四年二月一〇日に県立病院眼科を受診した際には、検査結果に特に異常がなかったことが認められるところ、控訴人一郎が県立病院入院以前に視力障害を有していたことを窺わせるような事情は全く存在しないこと、しかし、県立病院に入院中の同年三月上旬ころには、控訴人花子は、控訴人一郎が歩行する際に柱にぶつかるなど視力障害の存在を窺わせる状況を現認しており、同年三月一四日に県立病院眼科を受診した際には、右眼は直接対光反応が正常、間接対光反応が異常、左眼は直接対光反応がやや異常、間接対光反応が正常、視神経乳頭は左右とも蒼白な状態で、境界もやや不鮮明であるとの所見であり、以上の所見から、工藤医師は、中岡医師に対し、両側視神経の萎縮が疑われること、左眼の対光反応が欠如していることを報告していること、さらに、控訴人一郎の小学一年生時(昭和五八年四月一四日)の視力検査の結果は、右眼が〇・一、左眼が三〇センチメートル指数、青森県立盲学校在学中の平成六年五月九日の視力検査時における視力は、右眼が〇・〇九、左眼が眼前手動であり、両眼の視力とも恒常的に悪く、特に左眼の視力に問題があることが認められ、これらの事実に照らすと、控訴人一郎の視力は、県立病院入院中の二月一〇日ころから三月中旬ころまでの間に障害を受けるにいたったことが明らかである。

2 ところで、水頭症によって視力障害が生じる機序は、前記二4のとおりであるが、前記認定の事実によると、県立病院に入院した当時の控訴人一郎には、嗜眠状態、落陽現象、頭蓋縫合離開や指圧痕、頭皮下液貯留、瞳孔不同、対光反応障害、意識水準の低下、頭囲拡大が認められ、県立病院における控訴人一郎は、短絡管の機能不全により水頭症が進行性となった状態にあり、頭蓋内圧が病的に高かったものであるところ、前記二4に説示の水頭症によって視力障害が生じる機序に照らすと、控訴人一郎の視力障害は、短絡管の機能不全により、頭蓋内圧が亢進し、このため視神経萎縮をきたしたことによるものと認めることができる。

四  前記三に認定のとおり、控訴人一郎に視力障害が生じた原因は、短絡管機能不全による脳圧亢進によって視神経萎縮をきたしたことにあると認められるので、県立病院の担当医師の過失の存否について検討する。

当審鑑定人松本悟の鑑定の結果によると、短絡管設置の乳幼児水頭症の場合、嗜眠状態、指圧痕、頭蓋骨縫合離開、落陽現象、頭囲拡大などがあれば、まず第一に短絡管機能不全を考えるのが普通であり、短絡管機能不全が疑われる場合には、可及的速やかに短絡管再建術ないし脳室ドレナージ術を行い、脳圧の減圧を図るのが原則であると認められるところ、そもそも控訴人一郎はシャントトラブルの疑いで県立病院に入院したものであるうえ、控訴人一郎には、入院当初から、嗜眠状態、頭蓋骨縫合離開、瞳孔不同、対光反応障害、頭皮下液貯留、指圧痕、落陽現象、意識水準の低下、頭囲拡大など、脳圧亢進の可能性を示す諸徴候が認められたのであるから、県立病院においては、速やかに脳圧亢進の状態を診断し、減圧処置を最優先に行い、脳圧の正常化を維持し、視力障害を発生させないようにすべき注意義務があったというべきであるが、前記認定の事実によると、中岡医師及び田中医師は、シャントチューブの閉塞を疑い、水頭症の存在を認めたにもかかわらず、控訴人一郎の臨床症状等から、頭蓋内圧亢進はそれほど重篤ではなく、緊急性はないものと判断し、水頭症の原因を探索をしたうえで、どのような治療を行うか決定しようと考え、控訴人一郎の経過を観察するに止まり、二月一九日に至って、初めて減圧治療として脳室ドレナージ術を行ったものの、その直後から、コンレイ脳室造影、気脳撮影を引き続き行い、同月二四日脳室ドレナージ再建術を行ったものであって、これに照らすと、頭蓋内圧亢進の正常な回復は、二月一九日まで行われなかったばかりでなく、同日に完了せず、二月二四日の脳室ドレナージ再建術まで遅れたものであり、その結果、控訴人一郎は頭蓋内圧亢進により視神経萎縮をきたし、視力障害を発生させたものといわざるをえず、県立病院の担当医師である中岡医師及び田中医師にはこの点における過失を免れないというべきである(以下、県立病院において発生した事態を「本件事故」という。)。

五  被控訴人は、県立病院を経営管理し、中岡医師らを同病院の医師として脳神経外科における医業に従事せしめていること、中岡医師らが同病院の事業として、控訴人一郎の治療にあたったことは前記一認定の事実に照らして明らかであり、したがって、被控訴人は、中岡医師らの使用者として、控訴人らに生じた後記の損害を賠償すべき責任がある。

六  控訴人らの損害について

前記一認定の事実によると、控訴人一郎は、本件事故によって、左眼はほぼ失明、右眼も本訴提起後の平成七年一月の時点でみると〇・〇六という弱視の後遺障害を負うに至ったことが認められ、控訴人一郎の後遺障害は、労働者災害補償保険法施行規則別表第一障害等級表の第三級の1に該当し、その労働能力喪失率は一〇〇パーセントであると認められる。

1 控訴人一郎について

(一) 逸失利益 四三七二万三一二七円

就労開始年齢を満一八年、稼動終期年齢満六七年、本件事故時年齢満二年とし、就労を開始しうべき平成七年における賃金センサスによる産業計・企業規模計・男子労働者学歴高卒の年間給与額五二五万三一〇〇円を基礎とし、ライプニッツ係数を、六五年係数一九・一六一〇から一六年の係数一〇・八三七七を差し引いた八・三二三三として算出。

(二) 慰謝料 一七〇〇万円

控訴人一郎は、満二年にして本件事故に遭い、回復不能で失明に近い重大な障害を負うに至ったものであり、これを慰謝するには、一七〇〇万円をもって相当とする。

(三) 弁護士費用

本件事案の難易、請求額、認容額その他諸般の事情を勘酌すると、本件事故と相当因果関係に立つ損害としての控訴人一郎にかかる弁護士費用は六〇〇万円をもって相当とする。

2 控訴人太郎及び同花子について

(一) 慰謝料

控訴人太郎及び同花子は、控訴人一郎の父母であるところ、本件事故により控訴人一郎が幼くして回復の見込みのない重大な障害を負うに至ったことは、同人の生命を侵害された場合に比肩すべきものがあり、これを慰謝するには、控訴人太郎及び同花子について、それぞれ一五〇万円をもって相当とする。

(二) 弁護士費用

本件事案の難易、請求額、認容額その他諸般の事情を斟酌すると、本件事故と相当因果関係に立つ損害としての控訴人太郎及び花子にかかる弁護士費用は各一五万円をもって相当とする。

七  消滅時効について

被害者が不法行為に基づく損害の発生を知った以上、その損害と牽連一体をなす損害であって、当時においてその発生を予見することが可能であったものについては、すべて被害者においてその認識があったものとして、民法七二四条所定の時効は前記損害の発生を知った時からその進行を始めるものと解すべきである(最高裁昭和四〇年(オ)第一二三二号、同四二年七月一八日第三小法廷判決・民集二一巻六号一五五九頁)が、当該不法行為によって受傷し、その部位と程度に照らすと、具体的な後遺障害の等級は別として、後遺障害の発生を一応一般的、抽象的に予見することができるものの、引き続き治療を継続し、その後治癒せずに後遺障害が残存し、症状が固定した場合には、治癒しない症状の残存とその内容・程度が明らかになり、一般通常人において、残存する症状を後遺障害として認識、把握しうべき程度に至った時、又は社会通念上、後遺障害による損害及び損害額を算定し得る程度に病状が固定した時が民法七二四条にいう損害を知った時に該当すると解すべきである。

前記一に認定した事実、《証拠略》によると、控訴人花子と同太郎は、昭和五四年三月二〇日、控訴人一郎が県立病院を退院するに際し、県立病院脳神経外科の中岡医師から、左眼の視力回復は見られないかもしれないが、右眼の視力回復の可能性はあるかもしれない、と告げられ、その後、この言葉に望みを託して、控訴人一郎について様々な治療法を試み、治療を受け続け、その一方で、平成二年一一月、青森市内の伊藤眼科において、伊藤医師から、これ以上検査してもどうしようもない、と告げられるまで、半年に一度、視力の状態の検査を受け続けたのであり、その間、控訴人一郎の右眼の視力は徐々に低下し続け、その後も低下していることが認められる。

右認定の事実に照らすと、被控訴人が消滅時効の起算点として主張する昭和五四年三月二〇日、昭和五八年三月三一日あるいは昭和五九年八月二九日の時点はもとより、本訴提起の三年前である昭和六二年八月一〇日以前において、控訴人一郎の右眼にも将来後遺障害が残るかもしれないことは一般的、抽象的には予想されないではなかったものの、控訴人花子及び同太郎は、当時、依然として、中岡医師の言葉を信じて完全な治癒を目指して控訴人一郎に治療を受けさせていたのであり、しかも、中岡医師の言葉に照らして、控訴人一郎にどうしても治癒できない症状が残存するか否か、治癒できない症状が残存するとしても、その具体的な内容・程度についても、その概略が明らかになっていたものとは到底認め難く、したがって、一般通常人において、これを認識・把握し得べき程度に至ったものとはいえないし、また、社会通念上、後遺障害による損害及び損害金を算定し得る程度に症状が固定したものとも認めることはできないというべきである。

そうすると、控訴人一郎について、治癒しない症状の残存とその内容・程度が明らかになり、残存する症状を後遺障害として認識、把握しうべき程度に至ったとみることができるのは、控訴人らが伊藤医師から、これ以上検査してもどうしようもない、と告げられた平成二年一一月以前ではありえないというべきであって、控訴人一郎の後遺障害に基づく控訴人らの損害に関する消滅時効の起算日は、平成二年一一月とするのが相当であり、未だ右消滅時効は完成していないというべきであるから、被控訴人の消滅時効の主張は採用することができない。

八  以上によると、被控訴人は、不法行為に基づき、控訴人一郎に対し、六六七二万三一二七円及びこれに対する不法行為の後であることが明らかな昭和五四年三月一五日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を、控訴人太郎及び花子に対し、各一六五万円及びこれに対する昭和五四年三月一五日から各支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払義務がある。

したがって、控訴人らの本訴請求をすべて棄却した原判決は相当でないから、これを変更し、控訴人らの本訴請求のうち主位的請求を右の限度で認容し、その余を棄却することとする。

よって、訴訟費用の負担について、民事訴訟法六七条一項、六一条、六四条を、仮執行宣言について、同法三一〇条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 喜多村治雄 裁判官 伊藤紘基 裁判官 大沼洋一)

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